徒然

読んだ本の話とか、考えたこととか、自省と希望とか、生きるために吐き出したいこととか。

あなたのために服なんて着ない女の子でいたい

「その服、今年遊んだ女の子みんな着てたから見飽きたんだよね」
 
生ぬるい夏のショッピングモールの、エスカレーターの一段下で少し手すりに体を寄りかからせて、顎を突き出して笑った男。私はといえば、エレベーターを降りるまでの5秒ほど黙り込んだ。
なるだけ自然に見えるように配慮し切った彼のむしろ不自然な視線は、明らかに私の服を見てはいなかった。私の顔色を伺っていた。
彼の視線は赤茶色で、粘度が高く、それでいてやけに透明だった。
 
彼は恐らく「女の子”みんな”とたくさん遊んだ俺を見てください」と言っていたのに、しばらくして私の口から出てきたのは「あなたのために服を着てはいません」というなんとも機械的で言い尽くされた感じの、且つ、からしてみたら素っ頓狂な返答だった。彼はそんなはずはないという顔で何度か冒頭のセリフを述べた後、引かない私に「そうかもしれないけどさ」と引き攣った笑い顔で話題を逸らした。逸らしてくれて良かった。それ以上やったら、文学の好きな女の子は暴力性に身を任せてしまう。そうなれば彼だってプライドがあるから応戦して、きっとお互いに傷付いていた。
女の子と、あるいは男の子とただたくさん遊んだことに価値などあるのか、というのは、別の問題なのでまた今度。
 
 
さて、人の服にとやかく言ってくる頭の御目出度い方々に出会う度に、あなたのために服を着ているわけではないと、私がご機嫌になるために着ているのだと伝えることにしている。どんなに可愛くなくても、状況さえ許せばとりあえず伝えるように心がけている。
それでも大体そういう方々には全く意図は伝わらなくて、次に会った時にも同じことを言われたりするから、もうなんだかここまで来ると愛おしくなってきてしまう、なんて。ほとんどの場合二度と会ったりはしないのだけれど。
 
 
でも、本当のところ、それがどんなにどうでもいい人でも、誰かのためにとびきりめかしこんで、世界一可愛い、僕の、あるいはあたしのための女の子と言われたいのかもしれない。
 
 
それでもやっぱり私の中の、そうは生きたくないと叫ぶ声がそうさせてはくれない。もう一人のボク…全然制御できないよね。年中自分自身とデュエルしてるもん。
 
現代風のいわゆる「自分を持っている、”らしく生きる”格好良い女」にすがりつきたい現代の格好悪い女そのもの、なのかもしれない。顔から火が出そうだけれど、振り切れないとここに告白します。白か黒かでいたいけどできないから、グレーでいたいのに、グレーであることすら苦しい。
 
私たちにとって、女の子であることは呪いになりうる時がある。
ただ自分らしく芯を持って強く生きることもまた、呪いになりうる時があるのだと思う。
 
ただ、いつか本当に私たちが本当の意味で「私たち」を手に入れられる日が来るのだとしたら。誰かのためのお洒落にも自分のためのお洒落にもとらわれず、蝶のように白と黒の間をひらひらやって軽やかに生きられる日がくるのだとしたら。
 
その時、私たちはきっとこの世の中の全てを手に入れて、秘密の花園にこっそり集まって、若かったわと笑いながらビールで乾杯しよう。約束だよ。