徒然

読んだ本の話とか、考えたこととか、自省と希望とか、生きるために吐き出したいこととか。

私たちの中に棲んでいる魔物と、暴れるしかない私と、あなたと

「それにしても……いい歳して管理職にもならない男なんてどうかと思うのよ」

 

という上司の言葉を聞いて、どきりとした。

狭い作業部屋には雨音が響いている。窓の隙間から入り込んでくる湿気た空気は、とりあえずこの世界と溜まった仕事をうんざりさせるのにはもう十分すぎるほどで、つまるところ私たちは二人、溜まった仕事を片付けながらあれやこれやと話をしていた。

一緒に仕事をしていた私の上司の一人である彼女は「自分が管理職である」という話が好きなので、今日もその話をしていたのだ。

話は「女性活躍」から、「男女関係なく評価されるべきだ」と変わり、「それなのに男の人は私たちを差別する」という話になってから、もう一度「女性は管理職となり活躍するべきだ」というように移り変わっていた。

 

私はなるべく作業の手を止めないように意識して、さりげなく、いや、さりげなく見えるように細心の注意を払いながら、冒頭のセリフを言い放った彼女の顔を見た。

半笑いのその目には、自信とも不安ともとれない、灰色の何かが渦巻いている。

突然耳元でテレビの砂嵐みたいな音が聞こえたような気がして、私は一瞬にしてどんな顔をしたらいいのかまるで分らなくなってしまった。が、一先ず微笑もうと努めた。上手くは笑えていなかったと思うけれど。

社会人になってから、微笑むことがこんなにも難しいことだったのだと痛感している。

 

「仕事以外に、なにかやりたいことがあるのかもしれませんね」

 

これは彼女が求めている返答ではないと思いながらも、引くことは出来なかった。

 

「趣味に生きたい人なのかも」

 

「そんなこと、ある?」

 

「そんなはずあるわけがない」というように、彼女の声は責め立てるように大きくなる。私はもう泣き出しそうになりながら、なんとか次の言葉を考えた。

 

「……何もやりたいことがないなんて、そんな悲しい人、いるでしょうか」

 

ほとんど祈るように私は言った。この話は終わらせたかった。

だって、どんな人でも、男でも女でもそれ以外でも、好きに生きていいはずなのだ。部下のマネジメントをしても、スペシャリストとして生きても、そんなことに囚われるのはやめちゃってのんびり本を読んで生きても、何をしたって個人の自由のはずだ。

何もしない、ということすら、やりたいことの選択肢の一つかもしれない。

が、そんなことは、少なくとも私が今言うべきことではないし、どんなに苦しくたって、「そう思いたい」彼女を批判する権利は私にはないのだ。

これは、彼女の問題だ。でもどうして、こんなに胸が苦しくなるのか。一体何と対峙しているというのか。

 

雨足は強くなる。誰かれ構うものか、という音をさせて、窓の外を車が通り過ぎて行ったために、私は窓際で冷えた体を急に思い出して、身震いをした。

静かに作業に戻りながら、彼女が今まで見てきたものに思いを馳せることにする。

 

明らかな田舎で、男性社会。一般職として入社して、それでも小さな会社だから仕事はたくさんあって、そして、その中で客観的に見ても明らかに自分より働いていない人が自分から見れば男だというだけの理由で昇進していく。悔しかったのかもしれない、苦しかったのかもしれない。

だからそれが、彼女を「女性活躍推進という便利な毛皮を被った男性批判の魔物化」へと駆り立てるのかもしれなかった。誤解を避けるために伝えておきたいのだが、なにも彼女が悪いという話ではない。誰の心にも似たような魔物は棲んでいる。

 

「偏見」という魔物。

 

正直、彼女のセリフを聞いた時、私は背中に冷や水をかけられたようだった。

誰の心にも形を変えて、彼女の被っていた「便利な毛皮」は置いてあるのかもしれないと思ったからだ。そして、私の心にも明らかに、この「魔物」は棲んでいた。

 

私たちが例えば、女性の方が優れている、男性の方が優れているとか、本を読まない奴は馬鹿だとか、あいつらより自分の方が賢いとか、「こう思いたい」と思ったとき、魔物は姿を現して、私たちを誘惑する。

きっとこの魔物は本当の意味では倒すことはできなくて、それでも、抗わないといけないと思うことには説明がつかないままだけれど。

 

それでも、今の私は抗っていきたい。

ひょっとしたら、この気持ちの出発点でさえ、「魔物」なのかもしれないと思いながら。

そして、きっといつまでもこのままではいられないと、微かに予感しながら。

 

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私もいつか彼女のように、何かを「そう思わなくてはいられない」と思うような経験をするのだろう。そして、それだけ私たちは価値観めいたものを手に入れて、別の何かを失い続けるのかもしれない。

そのことに目を向けたくない私はまだ若くて、愚かで、欲張りで、まだほとんど何も持っておらず、同時に何か、燃えるような、ぎらぎらとした、今しか持てない何かを持っているのかもしれないのです。

 

今日のことを忘れずにいたくて、明日にはいなくなってしまうかもしれないこの気持ちを残しておきたくて、それでこの文章を書いている。

魔物を「魔物」と呼び、何も捨てられなくて暴れまわって抗う道しか見えない今日のことを、いつかの私や、かつて何も持たずに暴れていた誰かが見つけて、ああ若いな、なんて笑ってくれたら。

 

そんな風に思う。

「マッチングアプリでより良い相手と出会うコツ」と、地獄

「これね、コツがあるのよ」

 

「へえ、すごい、どんな?」

 

マッチングアプリの話をした。

恋愛目的で不特定多数の人と会うためのSNSというものに全く触れてこなかった私は、彼女の話をどこか外国の話を聞くようにして聞いていたけれど、話は盛り上がっていた。

ただ、まだ昼間だというのになんだか外は暗くて、15時過ぎのカフェはなんだか曇ったように、どんよりとしている。そういえば今日は午後から雨が降ると天気予報で言っていた気がするのに、折り畳み傘を持ってくるのを忘れてしまった。

 

「まずはプロフィール欄をね、しっかり書いたほうが良いのよ」

 

彼女は自分のスマートフォンの画面をこちらに差し向けながら続けた。

 

マッチングアプリって、女の子のほうが登録者数が少ないところのほうが多いの。だから、大して『ちゃんとやらなくても』男の子から誘ってもらえるんだけど、そういう女の子と差別化するためにちゃんと書くの」

 

「そうすると、良い印象を与えられるでしょう?ちゃんとしてるなって」

 

プロフィール欄を私に見せながら、彼女は誇らしそうに私を見つめていて、私が「そうなんだ、どんなプロフィール欄を書いているの?」と尋ねると、「見てもいいよ」少し嬉しそうにスマートフォンを私に手渡した。

彼女のプロフィール欄は確かに「力作」ではあった。

細やかに記載された趣味や、「どういう人と出会いたいのか」、それから休日の過ごし方、あとは、自分がどういう性格の女の子なのか。将来はペットを飼って暮らしたいこと、それからそれから……もうよく覚えていないけれど、そんなことが画面4スクロール分くらいの内容で書かれていた。

 

「すごい、細かく書かれてるね」

 

「でしょう?あとはね、写真をしっかり選ぶことも重要なのよ」

 

彼女は私の持ったスマートフォンを反対側から器用に操作して、自分の写真が写ったページを見せてくれる。彼女の写真はどれも上手いこと「盛れて」いた。

あとは趣味のよくわかる、綺麗な写真が多い。

 

「写真は何枚も登録できるんだ?」

 

「そう、趣味のわかるようにカフェの写真とかを載せてて……」

 

「これを見て同じような趣味の男の子が連絡をくれるんだね」

 

「そうなのよ、もし始めるんなら、写真は厳選したほうが良いに決まってるんだから」

 

彼女の言うことは恐らく当たっていて、実際のところ彼女はたくさんの男の子から連絡を貰っていた。

人のやっていないことを丁寧にすることで、差別化を図り、「いい男の子を捕まえられる」のかもしれない。

でもなんだか、私にはそれがとても悲しいことに思えた。

もっと言うと、「地獄」みたいだな、と思えてしまった。

 

男の子たちがたくさん載っている画面をみたときの印象は「品評会」だった。

恐らく男の子たちも女の子を評価する目線で見ていて、お互いに「評価」しあっている。

そうして、自分の中で「まあまあ私の恋人としては優秀なんじゃないの?」という誰かと出会って、もしかしたら本当に気が合って素敵な関係になれることもあるのかもしれないけど、そこに行きつくまでのこの作業は、一部の人間にとって明らかに地獄だった。

不特定多数の人を「自身の恋愛対象として評価する」ようにできているこのアプリを使うということは、ある種「そういう目線で」相手から評価され続けるということだ。そして、「品評会」には他の応募者たちがたくさんいる。その気配を感じながら生きなければならない。

マッチングアプリをすること自体が悪いということを言いたいのではない。趣味の合いそうな幅広い人と出会うという面では、たくさんの人と出会うという単純な目的でいえば、非常に役立つアプリだと思うし、実際私もその後彼女に言われるがままに登録した。その後全然触っていないけれど。

ただ、やっぱり「結婚をしたい」「彼氏が欲しい」と祈るような気持ちでこれらのアプリを使用することは、やはり地獄のように思える。

 

彼女の根底にある、「いい男の子を捕まえて幸せになりたい」という欲求。

「いい男の子を捕まえて身を固めれば、幸せになれる」という確信めいたもの。

 

それが彼女をこの「女の子としてライバルよりも評価されなければならない地獄」に駆り出していた。

その日の彼女の話のほとんど、「結婚」がメインテーマだったように思う。

 

「はやく誰かと結婚して、落ち着いて幸せになりたいの」

 

ぽつりとそう零した彼女は全然幸せそうじゃなくて、胸が苦しくなった。私は友人としてとても、彼女のことが好きだから。彼女はいつも身綺麗にしていて、流行にも敏感でお化粧にも詳しい、真面目で努力家で、素敵な女の子なのだ。

 

「結婚したら幸せになれるのかなあ?」

 

「それはそうでしょ。えっと、もしかして春名は結婚したくないの?」

 

「それは、うーん……できるならしてみたいかなあ……」

 

それ以上はもう、何も言えなかった。

 

「結婚」と「幸せ」は私の中では明らかに別物だし、「恋人ができること」と「幸せ」も私は別のところに置いておきたい。きっと彼女とその点では分かり合うことができなかったから。

 

それに、結婚して幸せになるにはそれなりに「二人で生きること」に向けた相互努力が必要なはずだ。「結婚」の実績が解放されたところでなんでもかんでも幸せなはずはない。他にも生き方はたくさんあるはずで、でも、どうして私たちはこんなに「結婚」という言葉に重みを感じてしまうのか。これは幻なのだろうか?

そんなことを考えている間に外ではざあざあと雨が降り出した。

 

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私と同じように傘を忘れた人たちが走っているのを横目に、私はそっと彼女にスマートフォンを返してお礼を言う。

私と彼女の間には少しだけ、それでも明らかに距離ができていて、私は「結婚」という単語を憎んだ。この生き方も地獄なのかもしれないと思いながら。

男尊女卑モラハラ男に対して一緒に怒ってくれる理想の上司なんていないから、私はお姫さまになってしまった

皆様、ご機嫌麗しゅう。

本日わたくしは、苦肉の策として姫になることにいたしました。

 

会社で購入しているある物品があるのだが、それを発注する先の男性職員に酷く失礼な物言いをされたことがある。

 

恐らく歴史のある会社、もしくは男性社会、その両方で働いている女性の皆さんであればわかっていただけると思うのだけれど、この世の中には残念ながら、女の子というだけで小馬鹿にしたような態度を取ってくる、なんとも失礼な殿方がいるものだ。

男尊女卑やモラハラと言われるようなそれらを絶対に許してはならないと思う。

田舎で歴史のある私の職場では誰一人として(女の子の同期ですら)一緒に怒ってはくれなかったし、理解もしてもらえなかったけれど。

 

若い女の子だから。それだけの理由でまともに取り合ってもらえなかったとき、私たちは社会に除け者にされて、敗北したような気持になる。

本当はそんな人ばかりではない。そんなことは分かっていても、胸に生まれた積乱雲はぐるぐると渦巻いて大きくなり、やがて私たちを完全に飲み込んでしまう。

そしたらもうその日は美味しいご飯の魔法も、かわいいメイクの魔法も使えなくなってしまう。なんだか景色は灰色で、靄がかかったみたいになってしまうから、本当に、つらい。

 

ところで、その失礼な男性職員は毎月、月初めになると納品のためにやってくる。

悲しいことに、その物品を受け取るのは私の担当なので、どうしても、どんなに嫌でも、顔を合わせなければならない。

 

それで、ここ数か月、ずっと月初めが憂鬱だった。

そのうちに、憂鬱であることにも腹が立ってきた。どうして私がこんなに嫌な気持ちにならなければならないのか。この状況を打開できる策はないか?

 

相談した男性上司に言われた。

 

「へえ、そうなんだ、よくある話じゃない?」

 

その一言にまともに傷ついた後、気づいた。他人事であれば全く心は動かないのだと。

彼を同じ日本国に生を受けた、近くの人間だと思うから腹が立ってしまうのだと。

他人事にしてしまえば、大して腹は立たないのではないかということに。

 

ということで、私は苦肉の策として、一国のお姫さまになることにした。

なぜお姫さまなのか、それは、もう王族にまでなれば一般市民のことなど全然他人事なんじゃない?と思ったからだ。あと単純に憧れている。大体の女の子はディズニープリンセスに一度は憧れたことがあるんじゃないかと思うのだけれど、私はもう、年中憧れている。大きなふかふかの天蓋付きのベッドで寝てみたいと毎晩思うもの。

 

そんなわけで今日の朝、自室のアパートを出た先に広がっていたのは、職場まで続く綺麗に洗われたレッドカーペットと、愛おしい私の国の朝の風景だった。

 

ああそうだ。私は今日、「お姫様」なのだった。

 

小鳥たちは囀り、すべての動植物と国民から私は愛されており、私もすべての動植物と国民を愛しているという、なんとも世間知らずでかわいらしい一国の姫らしき確信とともに、一日はスタートした。

いつもは憂鬱な午前中もなんだか心が躍る。国民たちは皆このように電話を取り、挨拶をしているのか。この服もいつもと違って軽くて良い。

いつもはふんだんにレースをあしらった、重たいドレスばかり着させられているのだ。

 

うきうきと浮ついた気持ちで席に座っていたら、呼びかけられた。

 

「姫、面会の者が参りました」

 

「あら、ありがとう。誰かしら?」

 

微笑んでから、すっと立ち上がり、背筋を伸ばしてお迎えにあがることにする。

自席で面会の者を待つなんてはしたないことはしない。何故なら私は賢いお姫様だからだ。

(これは余談だが、養老孟司氏が著書の中で「小物ほど部下を呼びつけるものだ」というようなことを述べていた。その通りだと思っている)

 

面会をしに来たらしい男は、へらへらと笑いながら立っていた。

 

「これ、納品書なのでぇ」

 

あら、随分はしたないお顔をしてらっしゃるわ。それに、言葉遣いも独特。一体どちらのイントネーションなのかしら?

可哀そうに、きっと十分な教育制度のない国で育ったのでしょう。

他国の平民なんて有象無象に過ぎないと大臣さんが仰っていましたけれど……私が気にすることではないのかしら。住んでいる国も全く違うのですし。

いえ、他国の民のことも愛してあげられるはずですわ。何故なら、私は良い王女様にならなくてはならないのですから。

 

 

……といった形で、今日という日を乗り切ることができた。

驚くほど腹も立たなければ、悲しくなることもなく、なんならとても気分よく一日を過ごすことができたし、上機嫌であった分、周りの大切な自国の皆さんと幸せをいくつか共有することもできた。なんというWIN‐WINな作戦であろうか。

多少自己陶酔しすぎて後で一般人に戻るのに苦労することだけ難点だけれど、多分あと数か月はこの作戦でいけると思う。

 

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ところで、私の国の法律では努力する女の子は皆きちんと地位が与えられて、称賛されることになっている。ビザをとりたい方はいつでも仰ってね。

それから、そちらのお姫様方は、今度お茶でもいかがかしら?

私たちは一度目のデートで奢らない男を気にしている場合ではない

「一度目のデートで 奢らない男とかあり得ないって思わない!?」

 

お酒を飲みながら友人が息巻いたのでどきりとする。それまでざわざわとしていた居酒屋は一瞬にして彼女と私だけの空間になってしまった。

ソーシャルディスタンスにより斜め前に座った彼女は指先が白くなるほど強く、ビールジョッキを握りしめている。私は一先ず食べかけた枝豆を置くことにした。

いつもはこのような類のことは口に出さない彼女だ。一体どうしたのかと尋ねると、どうやらマッチングアプリで出会った男の家の近くまで小一時間掛けて会いに行って、食事をしたのだという。そしてその食事代がまったくの割り勘だったらしい。

私はと言えば、ありきたりだけれど人生で初めてされたこの問いかけに、どう答えたらいいのかわからず内心ひやひやしていた。が、ありがたいことに彼女は私の返答を待たずに続けた。

 

「一回彼が「奢りますよ」と言ったから、「払いますよ、悪いですし」って言ったら、「そうですか」だって。きっちり半分!あり得ない!」

 

「これだから恋愛慣れしてない男は嫌なのよね、こっちは交通費払って会いに行ってるのに、しかも全然タイプじゃなくて、それで……」

 

なるほど、彼女は「奢ってくれなかったこと」ではなく、全くもって大したことないように思える男にすら「奢ってもらえる女」でいられなかったことを嘆いているのかもしれない。そんな自分を認められないから、怒っているのかもしれないな。

と勝手に解釈してしまってから、適当に相槌を打って、氷の解けて温くなった果実酒を消費することに集中した。中途半端に薄くなった林檎の果実酒は、私をやけにその場から孤立させた。

 

「一度目のデートで奢らない男」と「奢ってもらえる女でいることに囚われる女」、どちらが愚かで、どちらが恋愛慣れしていないのかという議論については、この広い世界の誰かに任せることにしたい。

 

「あり得ない!本当に。理系で芋くさくて話も全部つまらなくて……」

 

さて、彼女の怒りは収まらない。あっという間に、果実酒はなくなってしまった。手元を盗み見るとおはじきくらいになった氷がグラスの底に申し訳なさそうに座っている。汗だくのグラスがべったりと手にはりついている感触だけが妙にはっきりとしていて、とりあえずグラスを恐る恐るテーブルに戻した。

それから、手元のおしぼりでこっそりと、しかし馬鹿丁寧に手に付いた水滴を拭っていたら、彼女がほとんど叫ぶように言った。

 

「これだから理系の男は!!!」

 

スマートで話の面白い、そして決して女の子のプライドを傷付けない素敵な人に、理系も文系もあるものか。なんてこと、本当は彼女も分かっている。もうすっかりなりふり構わないご様子の彼女の暴論になんだか私もやけくそになって、「そうだ、そうだ」と囃し立て、その後は二人で楽しく呑んだくれた。

 

多少酔いの醒めた帰り道、ふと、彼女の怒りの別の可能性について思い立った。

そういえば彼女はデートのその日まで一度も彼に会ったことがなかったのだけれど、かなり頻繁にメッセージをやり取りしていたと言っていたのだ。

となると、彼女にとって彼が本当に、吃驚するほど期待外れだったのかもしれない。逆に言えば、彼女は彼とのロマンスに恋焦がれながら小一時間電車に揺られて、甘い気持ちで胸をいっぱいにしながら、いや、甘い気持ちを垂れ流しながら改札を出たのかもしれない。

 

彼女は恋をしていた。

 

だから、裏切られたように感じているのかもしれない。

マッチングアプリをしたことがないからわからないけれど、聞くところによればプロフィール欄が嘘だらけ、写真は別人、なんてよくあることのようだ。oh、ミラージュ。テレビのニュースも、ネットの記事も、私たちは誰かの作り出した幻に翻弄され続けて生きているのかもしれなかった。そうよ、この記事だって。

 

さて、一つだけ、彼女に言えなかったことがある。

いや、言わなかったのだ。誰かから言われたところで大したことはないと思ったので。

 

 

お金を出しても会いに行きたいと自分で決めたのなら、いいえ、お金なんて出していなくても、自分の時間を使って誰かと会いに行くのなら、その一日を自分自身が楽しめるかどうかのハンドルを相手に握らせてはならない。

そう、そもそも「奢られたか、奢られなかったか」なんて自分が楽しかったのならさして問題にはならないはずだ。

「彼にとって私はお金を出すに値する女なのか」ということに一瞬たりとも囚われてはいけない。だって彼のことばかり気にして楽しくなさそうな女の子より、多少乱暴にでも好き勝手やって時間いっぱい楽しそうな女の子のほうが100倍魅力的だと思いませんこと?

 

少なくとも私は、どんなに自分にとってつまらない状況でも面白おかしくしちゃう賢い女の子が好きだし、少しでもつまらない男の子なんて相手にしない、どんなに相手に失礼だろうがお札を叩きつけて帰っちゃって、なんならその足で書店か映画館に寄っちゃって、そんな自分に陶酔できちゃう、ある種肝の据わっている女の子が好き。

 

女の子なら世の中のすべてを、自分で選んで味わいきれた方が良いに決まっている。

もちろん、男の子や、世の中のすべての皆さんだって。その資格を誰もが持っているはずだ。

 

だから私たちは、一度目のデートで奢らない男も、一度目のデートで奢られるか心配している女も、それ以外の有象無象も気にしている場合ではなく、もっと誰かと一緒に過ごす一日を思うままに味わい尽くして、やりたい放題やってやろうじゃないの。

 

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……でも本当は、気弱で優しい彼女のことも私は好きなのです。

冷静でいられなくなっちゃうほうが、誰かに対して感情を振り乱しているほうが、恋する女の子らしい感じがするから。

そういう意味では、彼女は本当に寂しくて愛おしくて、少し羨ましい、私の大切な友人です。

私たちの冷戦終結宣言は、コーヒーヌガーの味がする

今週のお題「好きなおやつ」

チロルチョコのコーヒーヌガー味、こんなに美味しかったっけ?

子どもの頃はチョコレートの中に入っているあのヌガーがどうしても気に食わなくて、あんなに苦くてねっとりしたものを作り出した奴は絶対に性格が悪いと思っていた。

だから実家の冷蔵庫のバラエティパックの袋の中では、寂しそうにいつもコーヒーヌガー味だけ残っていた。いや、待て違う。アイツは全く寂しそうなんかじゃなかった。

 

「私の美味しさがわからないなんて、どうかしているんじゃないの?」

 

とでも言うかのように、冷蔵庫から冷ややかな視線を向けてきていた。

私はと言えば「ちっぽけなチョコレートのくせに何を偉そうに、あんたなんて今に生産中止されちゃうのよ!」と若い女の子らしく反論して、乱暴に冷蔵庫を閉めて、それで長いこと冷戦状態にあったのだ。

だってあんなに「私の美味しさがわからないやつは子供」だと言い放って、自信たっぷりな彼女のことが羨ましすぎて、絶対に仲良くなんかなれなかった。

 

それが今、そんないけ好かなかった彼女と、たまたま再会して、「せっかくだからお茶でも」となんとなくその場の雰囲気に流されるまま話してみたら、少し癖はあるけれど優しい女の子になっていたのだから驚きだ。全く違う生き方をしてきた私たちなのに、話は大いに盛り上がった。

私たちはすぐさま冷戦終結宣言を行うことにした。ワンルームの真ん中のテーブルで向かい合って、この会談の後に記者に発表する内容について少しだけ話し合った。そして、それが終わると微笑みあった。秋の初めの柔らかい風でカーテンが揺れて、虫の声が近づいたり遠のいたりしている。

 

「我々は永続的な平和と、私たちの関係が持続的な共同関係になることを実現することが出来る。これは日本の片隅の小さなワンルームで、コーヒーヌガー令嬢と私がまさに始めようとする未来の姿だ」

 

さて、彼女の口調は穏やかで大人びたものになっていたのにもかかわらず、容姿だけはなぜかあの冷蔵庫で仁王立ちしてこちらを見下ろしていたあの時より少しばかり幼く見えた。

私が今までのことを謝ると、彼女は「いいのよ、私も意地を張っていてごめん」と手を差し出してくれた。でも、その手を取った瞬間に、突然寂しくなったのはどうしてなのだろう。

本当は彼女に敗戦したから?いいえ、あなた、そんな理由ではございませんことよ。

乙女の寂しさはもっと曖昧で、繊細で、際限なく甘い。そして少しだけ苦い、コーヒーヌガーの味がする。

 

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ところで私は今でも、乱暴に冷蔵庫を閉めてしまうような少女であった頃の私を愛している。恐らく、彼女も。

未婚の中年男性というシンデレラ

むかしむかし、あるところに、お酒を飲んでは女の子にねっとりとした視線で「彼氏いるんでしょ?」と祈りながら尋ねる未婚の中年男性がおりました。

 

さて、セクシュアルハラスメントの話をしたいわけではない。

まして、未婚のおじさま叩きをしたいわけでも断じてない。というか、これだけたくさんの人が生きている世の中で未婚であることに大して注目することもないだろう。

 

職場に一見とても気の良い中年男性がいる。

いつも大きな声で笑っていて、豪快そう、そしてお酒を飲むことが好き。

皆さんの職場にも恐らく一人はいるタイプの中年男性だ。

 

そして、お酒を飲むと決まって、

 

「彼氏はいるんでしょ?」「俺のことなんだと思っているの?」

 

と繰り返すのである。汗ばんで油の浮いた肌を私の肩に恐る恐る貼りつけて。

そして、「いい年して結婚もしてなくて、俺って男として終わってっからさ」と私の顔色を伺うのだ。

 

「そんなことないですよ」

 

を待望した、中途半端に秋にならない、夏でもない、じっとりとして眠れない夜に肌にはり付く空気のような視線を差し向ける彼に、なるべく若い女の子の代表ですという顔をして「そんなことないですよ」と言う。思ってなくたって、言う。

自分が終わりだと思ったらきっと終わり始めてしまうだなんて言わない。自分だけは意味もなく自分を信じたらいいだなんて言わない。それくらいのことを言わない狡猾さは四半世紀生きた女の子なら誰だって持っているものだ。

承認と、慰めと、それ以外の言葉にするのが憚られるようなどろどろとした半液体状のなにかを過剰なほどに求める彼は、思えばいつも何かに追われているようだ。追われすぎて疲れて、そしてすべてに怯え切った子供のような目をしている時がある。

そして、幸せは誰かがきっと、運んでくれると信じている。信じ切っている。

 

でも、女の子に幸せなんて求めたってなんにもない。と思う。

 

男の子に幸せなんて求めたってなんにもない。とも思っている。

 

そして、今は幸せでなくても、結婚すれば幸せになれるなんていうのは幻想だ。

恋人だってそうだと思う。恋人ができたら勝手に幸せがやってくるなんて妄想だ。

すでに幸せで自立して生きていける人だけが、きっと本当に結婚や恋愛で幸せになれる切符を手にすることができる。のかもしれない。結婚はしたことないからわからないけどさ。

 

この文章は25歳の私へ自戒をこめて。

自らの足で立ち、幸せであれ!

あなたのために服なんて着ない女の子でいたい

「その服、今年遊んだ女の子みんな着てたから見飽きたんだよね」
 
生ぬるい夏のショッピングモールの、エスカレーターの一段下で少し手すりに体を寄りかからせて、顎を突き出して笑った男。私はといえば、エレベーターを降りるまでの5秒ほど黙り込んだ。
なるだけ自然に見えるように配慮し切った彼のむしろ不自然な視線は、明らかに私の服を見てはいなかった。私の顔色を伺っていた。
彼の視線は赤茶色で、粘度が高く、それでいてやけに透明だった。
 
彼は恐らく「女の子”みんな”とたくさん遊んだ俺を見てください」と言っていたのに、しばらくして私の口から出てきたのは「あなたのために服を着てはいません」というなんとも機械的で言い尽くされた感じの、且つ、からしてみたら素っ頓狂な返答だった。彼はそんなはずはないという顔で何度か冒頭のセリフを述べた後、引かない私に「そうかもしれないけどさ」と引き攣った笑い顔で話題を逸らした。逸らしてくれて良かった。それ以上やったら、文学の好きな女の子は暴力性に身を任せてしまう。そうなれば彼だってプライドがあるから応戦して、きっとお互いに傷付いていた。
女の子と、あるいは男の子とただたくさん遊んだことに価値などあるのか、というのは、別の問題なのでまた今度。
 
 
さて、人の服にとやかく言ってくる頭の御目出度い方々に出会う度に、あなたのために服を着ているわけではないと、私がご機嫌になるために着ているのだと伝えることにしている。どんなに可愛くなくても、状況さえ許せばとりあえず伝えるように心がけている。
それでも大体そういう方々には全く意図は伝わらなくて、次に会った時にも同じことを言われたりするから、もうなんだかここまで来ると愛おしくなってきてしまう、なんて。ほとんどの場合二度と会ったりはしないのだけれど。
 
 
でも、本当のところ、それがどんなにどうでもいい人でも、誰かのためにとびきりめかしこんで、世界一可愛い、僕の、あるいはあたしのための女の子と言われたいのかもしれない。
 
 
それでもやっぱり私の中の、そうは生きたくないと叫ぶ声がそうさせてはくれない。もう一人のボク…全然制御できないよね。年中自分自身とデュエルしてるもん。
 
現代風のいわゆる「自分を持っている、”らしく生きる”格好良い女」にすがりつきたい現代の格好悪い女そのもの、なのかもしれない。顔から火が出そうだけれど、振り切れないとここに告白します。白か黒かでいたいけどできないから、グレーでいたいのに、グレーであることすら苦しい。
 
私たちにとって、女の子であることは呪いになりうる時がある。
ただ自分らしく芯を持って強く生きることもまた、呪いになりうる時があるのだと思う。
 
ただ、いつか本当に私たちが本当の意味で「私たち」を手に入れられる日が来るのだとしたら。誰かのためのお洒落にも自分のためのお洒落にもとらわれず、蝶のように白と黒の間をひらひらやって軽やかに生きられる日がくるのだとしたら。
 
その時、私たちはきっとこの世の中の全てを手に入れて、秘密の花園にこっそり集まって、若かったわと笑いながらビールで乾杯しよう。約束だよ。